TAjiKA

四代目の日々を綴る日記です。

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”TAjiKA”は、ハンドメイドならではといえる独特の風合いと、アン ティーク鋏のような優美なデザイン、そして申し分のない気持ち良い切れ味をあわせ持った、こだわりの一品に仕上がっています。

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”TAjiKA”の商品はこちらから。


今年のテーマは・・・
2013年01月03日


こんばんは。
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

仕事は4日からですが
その前に毎年恒例、今年のテーマを。



「体験」



今年は体験です。
2012年「体感」ときて、体験って
ほとんど変わらんやん!と
お思いの、そこのアナタ!
ちょっと違うんです。


体感は、感じること。
まず、鋏を触ってもらうこと。
使ってみて、大量生産の物との
違いを感じてもらうこと。

それに対して、体験は
実際に自分で経験してみること。
試し切りも体験に近いですが
そこからもう少し先へ進む感じ。


詳しくは言えませんが
5月くらいには、この「体験」を
皆さんにして頂けるように
そろそろ準備していきます。
開催前にはお知らせしますので
楽しみにしていて下さい。


まだまだ知らない方も
いらっしゃると思うので
もちろん、2012年のように
知ってもらう、感じてもらう
活動は継続していきます。
こちらもお楽しみに!



個人的な目標としては
今年は「旅」をしようかと。
目標は3ヶ月に1回は
日帰りでも良いから
旅に出ること。

そういう体験をすることで
私自身もいろんな経験できますし
仕事にも繋がっていくんじゃないかと。
心に栄養を与える感じ(笑)
心が豊かじゃないと
良い物作ることができない
そう思うんです。だから、旅。

とりあえず、1月中旬の東京と
春くらいに福岡行くのは決めました。
夏はどこに行こうかなー!
またオススメがあれば教えて下さい。



短くても、マメに更新できるよう
今年は頑張ります。ではでは

tajika_top_20130101.jpg 


2012年の振り返り
2012年12月31日

年末、ギリギリまで
いろいろとやっていたので
振り返りが遅くなりましたが
日付は31日にしました(笑)



2012年のテーマは「体感」



「見てもらうこと」の次のステップ
「触ってもらう・使ってもらう」
そして、違いを感じてもらう。

いつも出展させて頂いている
倉敷フィールドオブクラフトや
松屋銀座の催事など、お客様と
直接お会いできる機会には
できる限り使ってもらえるよう
試し切りの布を置いたり
声をかけるなど、体感してもらう
方向付けはできたのではないかと。


そして、まさにそのテーマ通りの
「はさみのおと展」も開催しました。

はさみに興味のない、知らなかった人を
いかに呼ぶか、興味を持ってもらうか。
TAjiKA寄りに会場を構成したのは
そのためです。やっぱり入り口は広くないと。

私が想像していたより、すごく良い反応を
皆さんして下さって、試し切りをした時の



「あっ!」



っていう皆さんの顔、今でも鮮明に覚えています。
やっぱり、使ってもらえば分かるんだ。という
確信が得られた瞬間でした。
期間も短く、広報もうまくできなかったので
まだまだ課題は多いですが、得るものも多かったなと。



ただ、これで終ったわけではなく
これからも継続していかなければ
意味がないと思っています。
今後については2013年最初に
書くとして、まとめはこれくらいに。


最後になりましたが、展示等
私の活動にご協力下さっている皆様
いつもありがとうございます。
2013年も宜しくお願い致します。


直感に従う!
2012年12月14日

昨日、書き終わってから
何が言いたかったのか?
どんなことで締めたかったのか
今日の仕事中も考えていたのですが
全く分からないので(笑)書き殴ります(笑)

※すみません、よくあるんです。
仕事中、良い言葉思いついて
ポンポン言葉が出てきても
夜PCに向かうと忘れてるってこと...





(以下、たぶん、このままじゃいけない!的な
ことに対しての意見です)




鋏業界や地場産業も同じようなもの。
作ってさえいれば売れていた時代はとっくに過ぎ去り
売れなくなったのに、特に何も変わらない。
時代は刻々と変わり、人の趣向の変わるのに
変わらない製品、変わらない品質。
それで売れるわけがない。
変えないのか、変われないのか?

不況だから売れない。
そんなの言い訳だ。
必要としている人はいるし
必要とされるものを作らないといけない。


分からない人には分かるように
伝えなければならないし
分かるまで続けないといけない。


まだまだやらなければならないことは
山積みで、どんどん増えていく。
大変なことも多いけれど、その度に
勘三郎さんのことを思い出せば
頑張れる気がする。



勘三郎さんには、
「歌舞伎を若い人たちや世界の人に向けて発信する」
という大きな目標があったそうです。
これは、ほんとに同じ目標。

これからの育っていく世代に
きちんんとモノの良さとか違い
大きく言うと価値観のようなものを
きちんと伝えていく必要があるし
それが業界の将来にも繋がっていく。

世界に向けては、今も取引はありますが
これからもっと発信していくつもりです。
日本の技術力は自分たちが思っているより
外国の方たちの評価は高いですし
もっと自信持っていいと思うのです。
実際、刃物の本場と言われている
ドイツの方は日本の質の良さを
日本人よりも知っていますし。



と、結局どうまとめるかも決まらないまま
ここまできてしまいましたが
今回のことで思ったことでまとめます!



「会いたい!と思った人にはすぐ会いに行く。」



人生はいつ何があるか分からない。
もたもたしてたら、チャンスを逃す。
今!っていう直感が働いたら
やっぱり動かないと。と思いました。
今回は残念ながら無理ですが
テレビなどでもっと勘三郎さんのこと
歌舞伎のこと知ろうと思います。




しかし、最近涙もろくなったのは
寒い季節になったからでしょうか?
それとも歳をとったからでしょうか?


NYC-Fall.jpg


純粋な心
2012年12月12日


寒い日が続きますね。
皆さんいかがお過ごしですか?
風邪やノロウィルスには
お気をつけ下さいね。



今日は、先日惜しくも
お亡くなりになられた
中村勘三郎さんについて。

よくテレビなどで
拝見していましたが
今回の報道や特番を見て
改めて勘三郎さんの偉大さを
知った気がします。
そういう方も多いのでは
ないでしょうか?



中村座.jpg


私が今回、勘三郎さんについて
書いてみようと思ったのは
自分で言うのもおこがましいですが
考え方が似ているような
そんな気がしたからです。


勘三郎さんは
歌舞伎界の革命児と呼ばれ
いろんなバッシングを受けたようですが
誰よりも歌舞伎のことを想い
将来を案じていたからこその
行動だと思うのです。

特番などでよく耳にしたのは
「お客様のために」という言葉。
魅せるという仕事をしているからには
伝統的な古典歌舞伎をやっても
お客様が面白くなければ意味がない。
と考えられていたのでしょうか。

分かる人だけ来ればいい。
それでは、歌舞伎はどんどん衰退する
そうなればすばらしい文化が途絶えますし
何より、自分たちも食べていけない。

そういう、今置かれている状況に危機感を感じ
将来を見据えて、今、何をしなければならないか
そのためには、手段を選ばないというか
ご法度とされるようなことも
お客様のために、喜んでもらうために
という1点を考えて、動かれていたのだと思います。


また、新しくやることばかりに目がいきがちですが
勘三郎さんはそもそも伝統的な歌舞伎の
技術?(型というのでしょうか?)がすごかったと聞きます。
※テレビでも言っていましたね、「型破りの話」

自分もそうですが、新しいことって
もともとの基礎・土台となるものがないと
まったく説得力がないんですよね。
「竹二」あってこその「TAjiKA」みたいな。

誰よりも、伝統を重んじ、
その素晴らしさを多くの方に伝えたい!
その「純粋な心」が、型にはまらない
いろんな活動に繋がっているのではないかと
勝手に想像したわけです。

そして、それは私も同じ。
祖父や父が作ってきた伝統・技術を
一人でも多くの方に伝えたい!
そのために考えたり、実行すること
例えば、職人が自ら行うことではないかもしれない
ハサミの展示(個展)を開催したり
いろんなジャンルの方とお会いする場に
行ったり、PRすること。
それらは、いつも父に反対されることばかりですが
結果を出せば、認めてくれる。
たぶん、いつも突拍子がないというか
それをやれば、どういう反応があるのか
想像を超えているから分からないのかもしれません。
自分にとっては、普段から考えていることなので
ごくごく当たり前のことなのですが...。


とにかく、父や周りから何と言われようが
自分の考えた道は何が何でもやりぬきます!!!
そうすれば、失敗してもきっと良い道が
分かる気がするので。




・・・




なんだか、書きたいことがまとまっているような
まとまっていないような?文章になってしまいました。
もう少し書きたいことがあるので
また明日に追加で書きますね。ではでは


オンリーワン「になる」ことの難しさと、「である」ことの難しさ
2012年12月09日


FBでのリクエストもあり
難しい話を続けることにしました!



タイトル長いので敢えてここでは
書きませんが、まず「になる」こと。

これは皆さんも想像しやすいのでは?

その会社・人にしかできないことを追求して
他の追随を許さない状態。
もしくは、このご時世、不況の煽りで
自然に淘汰され、その業界でそこしか残っていない。
残るだけの技術があった、状態。

うちは、どちらかというと後者。
もちろん、他の職人がしない、できないような
特殊な鋏"ばかり"をやってきていた
変わり者の祖父と父(もちろん私も...(笑))
のおかげで、前者にも当てはまりますが。


ただ、いろんなメディアで
「あそこの技術はオンリーワンだ。」
「真似できない。」
そんな言葉を目にしたりしますが
そんな言葉では片付けられない
途方もない苦労、努力、忍耐・・・
いろんな要素が合わさって
(時には、偶然から生まれることも...)
ようやく、出来上がるんですよね。


それは、たぶん経験しないと分からないこと。
そして、一度出来上がったからといって
そこで終わりではなく、そこからさらに
より早く、より正確に、より良いものを作るために
努力・工夫は続いていくんです。
現に、父は一度もこれでいいと思ったことはないようで
それは耳にたこができるくらい聞いているし
今でも言われます。




「今のままでいいと思うな。もっといい方法があると思え。」




職人に定年はありません。
求めれば求めるだけ成長することができます。
いつまで経っても、きっとこの気持ちは忘れずにいます。




前半で既にちょっと長くなりましたが
次に、「である」ことの難しさ。
これは上に書いた、技術的なこともそうですが
(常に成長しなければ、追いつかれる。)
どちらかというと、業界やそれを取り巻く話を少し。


オンリーワン(業界で1社の状態の場合)
になるということは、すごいこと!
というイメージを持たれる方が多いかもしれません。
確かに、そこに至る経緯、残るだけの技術力が
あることは素晴らしいのですが
それを維持していくのはものすごく大変。

技術は、自分さえしっかりしていれば
成長できるのですが、会社として存続していくには
道具や専用の機械、その消耗品など
必要なものが沢山あります。
それを作っている会社もあるわけで
例えば、今まで100社あった業界が
10社になってしまったとしたら
その道具を作っている会社は
経営が難しくなりますよね?

鋏に限らず地場産業は特に
設備投資の時代は随分前に終わり
機械を作っていた会社はもうなくなり
自分でできる場合を除いて、修理もできない状態。
こういう状態では、将来的に安定して
製造を続けていくことは少し難しい。

もちろん、特注をすれば
作ってくれなくはないですが
その分、かなり費用がかかったり
対応してくれない所も多いでしょう。

そういう観点から考えると
「である」状態を続けることは難しく
ある程度、業界として数が残り
道具を必要とする会社もある程度あり
技術的にも切磋琢磨できる環境があった方が
本当は良いのかもしれません。


現状、鋏業界はどんどん廃業しており
日本の産地である、新潟・東京・小野三木
の裁鋏の産地で私の世代の跡継ぎは
一人も居ません。
(※全国を回っておられる刃物の材料屋さんからの
情報ですので、おそらく合っていると思います。
もしいらっしゃったら、それはそれで嬉しいことなのですが。)
まだ高齢でも現役の方がいるので良いですが
うち1社になれば、材料を買うのだって
最低ロットも増えるでしょうし
消耗品も作らなくなるかもしれません。。
そのために、先を見越していろんなものを
揃えておかなければならないのですが。。

そういうことも、安定供給していくため
価格変更に踏み切らざるを得ない原因の一つです。




いろいろ書きましたが
一口に「オンリーワン」と言っても
そうなるために、それで在り続けるためには
いろんなハードルがあることを
ご理解頂いていれば、メディアなどで
目にされた時、言葉だけ・表面だけを
見るのではなく、少し見方も変わるかもしれません。

これは「大変なんです」ということを
押し付けたいわけではなく
こうした背景を知ることで
作られた物により愛情が持てたり
大事に永く使ってもらえるきっかけに
なれば良いなと思うのです。




一人でも多くの皆様に想いが伝わりますように。


daisuke_photo.jpg


次回もちょっとこんな話を。
その後、オススメ本を一気にドバーっと。
ではでは